いかに仕事が好きな俺といえども、週末は楽しみだ。
  愛しのヨッちゃんとメッセージや電話で連絡を取り合いながらワクワクが止まらなかった。
  たとえ何の予定もない休みであったとしても待ち遠しいのには変わらないのだから、
 デートの予定がある週末なんて、地団駄踏みそうなくらいだった。
  ん?地団駄ってこういう時に踏むもんだっけ?
 今週末は、愛しのヨッちゃんと牛乳が大好きすぎて乳製品を扱う会社に就職までした俺の推し牛、ルーシーに会いに行くのだ!

 いよいよ当日。車でヨッちゃんの家の近くのコインパーキングまで迎えに行く。九時に約束をしていて、
そのきっかり十分前。コンコン、と運転席のドアをノックされて、ウインドウを下ろす。

「アキちゃん、おはよう!今日はよろしくお願いします!」
「ヨッちゃんおはよう!助手席にどうぞ!」

 前から回って助手席に乗り込んだヨッちゃんシートベルトを締め、
手に持っていた小さなトートバックを膝に乗せると小さく拳を上げて
「出発進行!」
と合図を出し、ニコッと笑った。

 ちょっと子供っぽいところも可愛い。
 体育会系な見た目に反して天真爛漫な様子に、俺までつられて笑顔になってしまった。
 小さめの音で音楽をかけたりエアコンを調整したりしながら高速に乗り落ち着いたころ、
 ヨッちゃんがトートバックから魔法瓶を取り出した。
「アキちゃん、熱いコーヒー持って来たんだけど、飲まない?」
「おお、飲む!ありがとう。」
 スリーブを付けた紙コップに熱いコーヒーを注ぎ、手渡してくれる。芳しい香りが車内に広がり、大きく息を吸い込む。
 一口啜り、それがインスタントではなく手をかけて淹れられたものだと気付く。
「ヨッちゃん、わざわざ淹れてくれたんだね。美味しいよ。ありがとう。」
「よかった。お替りもあるから、欲しかったら言ってね。」
 うわあ、なんかほっこりするなあ。今まで周りにいなかったタイプ。
 そういえば今まで家庭的な相手と付き合ったことなかったなあ。
 おいしいコーヒーと好きな音楽で会話を楽しみながら一時間と少し。愛しのルーシーがいる牧場に到着した。

 アウターを着込んで車を降り、うーんと伸びをする。
 パキッとした赤のダウンジャケットの中にオフホワイトのニット、デニムが体格の良いヨッちゃんにとても似合っている。
 アウトドアブランドのロゴが入っているダウンはとても暖かそうだ。
 太い首に巻かれているネイビー地に白ボーダーのマフラーも爽やかでかわいい。
 ヨッちゃんはカラフルなものが好きなんだな。色に負けない体格が羨ましい。
 俺はヨッちゃんほどおしゃれではなく、地味なネイビーの細身ダウンにベージュのタートルニット、黒のスキニーだ。

「さっそくだけど、ルーシーに会いに行っていい?」
 両腕を高く上げて伸びをしながら声をかけると、
「もちろん!乳しぼりの予約は何時からだっけ?」
 ヨッちゃんが足首を回しながら時計を見る。
「十一時から。牛舎までのんびり歩いてちょうどくらいかな。我ながらナイス計画!」
「おお、すごい!ナイスアキちゃん!」

 便乗してパチパチと手を叩いてくれる。本人的には普通にパチパチしてくれているつもりなんだろうけど、
手が大きいせいか音量的には柏手レベルになっていて、何だかとてつもない偉業を成し遂げたような心持だ。
 まだ硬い菜の花や水仙の蕾、1匹鳴き出したらなぜか順番にメエメエ鳴き出したヤギの群れなどを横目に見ながら牛舎に向かう。

「はー……。肺がきれいになりそう……。」

 深呼吸をしながらヨッちゃんは嬉しそうだ。
 うむうむ。ここで思う存分きれいな空気を吸って、ますますピュアでかわいいヨッちゃんになるが良い。
 足取りも軽やかに歩くこと十分弱。放牧場の一角にある広場に到着すると、
まずは乳しぼりを待っている牛たちの顔を確認する。
 ルーシーは今、授乳期ではないのでここにはいない。
 広場の周りには他にも乳しぼり体験を待っている家族連れが数組いて、大変賑やかだ。
「ルーシー、いた?」
「いない。今は産後じゃないから牛舎にいるんだ。
そっちにいる時はエサやり体験ができるから、乳しぼり終わってからゆっくり挨拶に行こう。」
「そうなんだ。じゃあ、後でゆっくり。」

 歩いて温まった体が冷えてきて、寒くなってきたね、と巨体を縮めながら順番を待つヨッちゃんがかわいらしくて、
 こっそりポケットに入れていたカイロを出して握らせる。
「あ、あったかい。」
「うん。俺いっつも手が冷たいから必需品なんだ。」
「そうなんだ。……あ、ほんとだ!」
 そっと指先を握られて、驚かれる。おお、ちょっとキュンとしてしまった。
 ヨッちゃんは何とも思ってなさそうだけど。だったらこれでどうだ、と
「特に寒がりではないのに、指先だけはいっつも冷たいんだよね。」
と話しながら、握らせたカイロごとむぎゅむぎゅとヨッちゃんの両手を揉みこんでやる。

「あ、あ、そうなんだ、あの、アキちゃん、俺は大丈夫だから、カイロ、アキちゃんが持ってて?」
 耳まで赤くして恥ずかしがっているヨッちゃんに満足して、手を離す。カイロはもちろん握らせたまま。
 一度差し出した物を引っ込めるわけにはいかねえ!それが漢の心意気ってもんだ!
 よくわからない心意気を見せて鼻息を荒くしていたらさっそく搾乳の順番が来て係の人に呼ばれる。

「あれー、八橋さん。なんで今更乳しぼり?ルーシーは今授乳期じゃないの知ってるでしょ?」
「うん。今日は連れがいてね。俺も久々に一緒にやろうと思って。」
「そうなんだ。じゃあどうぞー。」
「アキちゃん、常連さんなんだね。本当に牛が大好きなんだね。」
「うん。月に二回は来るからね。乳しぼりもお手の物だよ。ヨッちゃん、はい、牛のこっち側から絞ってね。」
 身体に沿った柵で動かないように固定されている牛の左側からブリキのバケツを置く。
「乳首を親指と人差し指で押さえて、中指、人差し指……って順番に力を入れていくんだ。ほら。」
 ピューッとうどんくらいの太さの牛乳がバケツに伸びて、ヨッちゃんは
「わ!出た!痛くないかな、大丈夫かな、すごいすごい!」と大興奮だ。
「あんまり溜まっちゃうと乳房が張っちゃうから、絞ってもらうと気持ちいいらしいよ。
もちろん力入れすぎたら痛いだろうけど。はい、ヨッちゃん交代!」
 しゃがみ込むヨッちゃんの背に手を添える。
「うわー、ちょっと怖いな、緊張する……。あ、おっぱい、あったかい……。」
 見よう見まねで乳を搾ると、そうめんくらいの細さの線がバケツに入る。
 牛の話とはいえヨッちゃんの口から出た『おっぱい』て単語はなかなかの衝撃だ。

「わー!出た!できた!」
 シューッシューッと二,三回絞って、
「も、もう大丈夫。できた。楽しかった。牛さん、ありがとう!」
 母牛の大きなお尻を擦ってお礼を言っている。
 目の前で見るとその大きさに圧倒されて、大人でもちょっと怖がる人もいるんだけど
自分も大男なせいかヨッちゃんは物おじせずに牛に触れている。この分ならきっとルーシーとも仲良くなれるな。
「アキちゃんアキちゃん、牛ってあったかくてかわいいんだね。」
「でしょ?お母さんもこんなにかわいいのに仔牛を見たらもっと牛乳のありがたみがわかるよ。
優しいお母さん牛とかわいい仔牛が、自分たちのミルクを分けてくれるんだ、って。
俺、もっと広めたいんだよなあ。牛乳のおいしさ、すばらしさを。」
「うん、伝わったよ。アキちゃんの熱い思いは。これからはもっと大事に飲む。
そのままじゃなくても、乳製品を使ったレシピも研究してみたくなった!」
「いいねえ。バターならここでも手作り体験できるから、後でやってみる?」
「やる!やってみたい!でもその前にルーシーに挨拶だね!」
「うん。行ってみよう。」

 牧草地に沿っててくてくと歩き、牛舎の方へ移動する。
 一応看板も出ているし見学自由なのだが、乳しぼりの広場からはちょっと離れていて、
ただ牛がいるだけだし、五分ほど歩くのでわざわざ訪れる人は少ない。
 俺はかなり頻繁に通っているので勝手知ったるなんとやらで、こちらでも顔なじみのスタッフに声をかけ、
目の前の牛たちに挨拶しながらルーシーのところまで直通でヨッちゃんを案内する。

「ルーシー、元気にしてたか?今日は連れがいるんだ。ヨッちゃんだよ。よろしくな〜。」
「さっきの牛さんといい、ここは茶色い牛さんなんだね。わわ、ルーシー、アキちゃんの言っていた意味が分かった!
本当に何て言うか、切れ長な目がきれいで、上品な雰囲気……。確かにノーブルな牛だ……。
ルーシー、初めまして。淀川義彦っていいます。よろしくね。」
 丁寧にフルネームで自己紹介しているヨッちゃんに、分かっているのかいないのか、
ルーシーも柵から頭を突き出して、ヨッちゃんに顔を寄せている。
 これは案外仲良くなれるかもしれない。ちょっと意外なくらい大きくて横に飛び出した耳の後ろを掻いてやったり、
鼻面を人差し指でよしよしと擦ってやったり、俺が教えなくても十分にスキンシップが取れている。

「ヨッちゃん、何か動物飼ってる?」
「ん?実家で犬を飼ってたくらいだけど。」
「そっか。なんか触り慣れてるなーと思って。」
「そうかな?触られて気持ちいい場所はどの生き物でもそんなに変わらないかなーと思って。」
 そうか。ということはヨッちゃんも耳の後ろが気持ちいいと……。一つ勉強になった。

 ひとしきりルーシーと交流し、牛舎を出たら既に太陽が真上に上っていて、お昼にしよう、と意見が一致した。
 人影がない牧草地をてくてくと歩きながら何を食べるか相談する。
「レストランでしっかり食べてもいいけど、肉まんとかソーセージとか、食べながら散歩も楽しいよ。」
「あ、それいいな。ソーセージ食べたい。あとソフトクリームも!」
「いいね。俺、この園内で一番おいしいソフトクリーム屋台知ってるんだ。ご案内しまーす。」
「すごい!アキちゃん、半端ない常連感!」
 予定のない休日、なんとなく朝起きてドライブがてらにルーシーの顔を見に来ていた俺って、
客観的に考えたらものすごく寂しい独身男なんだろうか……。
 ま、元々あんまり他人を気にする性格じゃないからいいけど。

 あっという間に気を取り直して、まだ固い花の蕾を眺めながらソフトクリームを食べて震えたり、
体験ハウスで牛乳を入れたペットボトルを振りまくってバターを作ったりして楽しく過ごし、
「あんなにきれいなルーシーに会った後でなんとなく罪悪感があるなあ……。」
「でも世の中、きれいごとでは回らないんだよ……。弱肉強食!」
「やめてその言い方!」
 なんて言い合いながらステーキハウスに寄って夕飯を食べたりして出発地点だった最寄りの駅までヨッちゃんを送り届けた。
「はー楽しかった!めっちゃ健全なデートだったね!」
「うん、楽しかった!ルーシーかわいかったー。また連れて行ってね!」
「もちろん!でも次はヨッちゃんから誘ってくれると嬉しいかな。近所でも全然いいから、
ヨッちゃんの気に入ってる場所とか趣味の場所とかを見てみたい。」
「……うん!じゃあ、考えて誘うね!ありがとう。じゃあね、またね。」
 そそくさとシートベルトを外して車を降りようとするヨッちゃんの手を掴んで引き留める。
「まってまってヨッちゃん、デートなんだからこれくらい、いいでしょ?」
 情けない話だけれど、巨体のヨッちゃんを力づくで引き寄せるのは無理がある。
 手首をぎゅっと掴んで顔をこちらに寄せてもらい、頬を両手で包み込んでちゅ、と唇をいただいた。
「……おやすみ!」
 頬を赤く染めたヨッちゃんが降りると、俺はおどけて気障なポーズを決めて車を出し、完璧なデートを終えたのだった







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